はい。どうも、食育アドバイザーのRyokoです。
私の人生に興味を持っていただいて、ありがとうございます。w
そこちゃう!!って??←ですよね~!!!!w
さてさて、それでは今回は、今までの私の人生を少しづつ説明しますね☆←まだ続くんか??
まずは、先日にもお伝えしていた
私がアトピー性皮膚炎であること。
思い起こすのが難しい年代に入って来たのですが ^^ ;←おい!!!!
そのことで思い知ってきた経験談を、お話させてください。
掻くことって迷惑なことだったんだ……
それは、小学校・低学年の頃でした。
(もう30年くらい前のお話です。汗。)
「肘の内側」「膝の内側」が痒くて・痒くて。
(この部位は、アトピーあるあるの箇所ですよね!?)
大人になった今もそうですが、子供の頃の痒みって
我慢ができないですよね!?
とある日の授業中、私は無意識に、ボリボリと身体を掻いていたのです。
そしたら、前に座っている子に
「さっきからボリボリ、ボリボリうるさいよ!」
と振り向きざまに言われたんですよね!?
当時の私は、掻くことが人に迷惑をかける行為だなんて思ってなくて
しかも、無意識の自然現象だったので、訳がわからなかったことを覚えています。
その後の恐怖も分からずに塗布していたステロイド剤との生活
その頃に、肌に塗っていた「リンデロン・VG」という〝ステロイド剤〟配合剤。
子供ながらに「VG塗って~」と、親に言っていた記憶があります。
そこから30年。
ここ10年くらいは〝Ⅱ群・Very Strong〟という部類のステロイド剤「マイザー」を塗っていました。
(一応、ステロイド剤の一覧の画像を載せておきます)
なぜ過去形なのかと言いますと、今現在(2019年)脱ステロイドをして4年になります。
その経緯は、また別の機会にお伝えしますね。
こうして私は、子供の頃からステロイド剤に頼って、アトピーと付き合って来ました。
薬以外の方法も考えてみたりもした過去
海水がアトピーに良いと聞けば、夜の海岸に行き、半裸の状態で海に飛び込んで行ったこともありました。
親が海水を運び、自宅のお風呂に入れたこともあります。
一瞬、良くなったように感じるのですが、それでも、また繰り返すというループになり、私のアトピーは良くならなかったんです。
いつも私の生活にはステロイド剤がありました。
生まれ育った環境を離れ、独り暮らし生活へ
そして、月日が経ち、私は高校を卒業して一人暮らしを始めます。
地元・茨城を出て、いざ東京へ。
ますますアトピーが酷くなりました。
私は、日に日にボロボロになっていく自分の肌を見ては、心がボロボロになっていきました。←本気ね。ギャグじゃないですよ。w
病院探しに翻弄する日々……
ある時は、横浜に皮膚科の名医がいる。と聞きつけて、5時間待ち続け、診察を受けたことがあります。
その時の医師に言われたアドバイスは、
Dr.「将来、結婚する時は、アレルギーのない、お金持ちと結婚しなさい」
と言われました。
「???」←私は、こんな顔をしていたんだと思います。
Dr.「あのね、アレルギーのある男性と子供が出来たら、アナタの子供は確実に何らかのアレルギーを持って生まれるよ。
少しでもリスクを減らしたいなら、相手がアレルギーがあるか聞いてから付き合った方が良いよ」←え???
Dr.「それとね、アトピーって、季節の変わり目に出るでしょ?日本ってね、春夏秋冬があるから
その季節の変わり目に海外旅行に行けるような、行っても良いよ!って言ってくれるような人と結婚しなさい」
この2つの話は、それから十数年経った今も鮮明に覚えていますね。汗。
真相やいかに????ってね。その話は、また別の機会にします☆
そしてまた、ある時には、ある大学病院の皮膚科が良いと聞きつけて、
紹介状のない私は、直接、病院の窓口に行き
泣きながら「診察をお願いします。私を診てください」と言ったことがありました。
見えない背中を、定規やお箸で掻きむしっていた時代。
血液ではなくリンパ液が漏れ漏れでした。
下着をつけることも出来なくて。
その時も、医師が処方したのは〝ステロイド剤〟のみでした。
とまぁ、あちらの病院が良いと聞けば行き、こちらの病院が良いと聞けば通い。
東京生活の10年間は、本当に沢山の皮膚科に通いました。
沢山の皮膚科に通ったけれど、結局は……
ですが、私が色々な皮膚科医を訪ねて行って出た結論は
「どこの皮膚科に行っても、処置は同じ。ステロイド剤を処方されるだけだ」ということでした。
(そうではない医師がいらっしゃることは、後に分かりました。が、今現在も、全体的な比率としては、ステロイド剤を処方する医師が多いのは現状かと思います)
と、ここまでは、ステロイドと皮膚科医のお話。
さて、次は、そんな私が〝ステロイド剤〟を辞めたキッカケのお話を語らせて頂きますね☆